「親元を離れることこそが、この事業のためになる」
愛知県に本社をおく日本特殊陶業株式会社の新規事業コンテストから始まった挑戦は、ゼロからの立ち上げ、事業化、別会社化、そして成長を経て、ついに「売却」という一つのゴールを迎えた。
製造業企業間シェアリングサービスを展開する、株式会社Sharing FACTORY。
登録企業数約3,500社、出品数6,000個。流通額は毎年30〜50%増――。 着実な成長を遂げていた社内ベンチャーを、なぜ今、外部へ送り出す決断をしたのか。

その背景には、事業のさらなる飛躍を見据えた戦略的な判断と、日本のものづくりを支えるための冷静な計算があった。 同社の元代表取締役社長、長谷川 祐貴氏に、その決断の真意とこれまでの軌跡を聞いた。

【売却の決断】事業をさらに伸ばすため、あえて「親元を離れさせる」道を選んだ
――登録企業数3,500社、毎年30〜50%の成長。順調に見える中で、なぜ「売却」という道を選んだのでしょうか?
結論から言えば、事業価値の最大化と、より独立的に運営していくためです。
私たちは社内における「ファーストペンギン」として、前例のない挑戦を重ねてきました。おかげさまで事業は拡大しましたが、この事業をさらに成長させていくには、より動きやすい環境で、自らの足で立って育てていく方がいいと判断しました。
激しい急成長ではありませんでしたが、着実に積み上げてきた実績があるからこそ、胸を張って次のステージへ送り出すことができたと思っています。
【事業の原点】現場の悲痛な声から「工場のシェアリング」を着想。そして、対価を伴う検証へ
――時計の針を戻しますが、そもそもこのアイデアはどこから生まれたのですか?
「日本のものづくりの競争力を高めたい」というミッションを掲げ、現場の課題を掘り下げていく中で生まれました。 当時、世の中では「シェアリングエコノミー」がトレンドになりつつありました。一方で、中小企業の社長たちと膝を突き合わせて話していると、多くの企業が「設備の稼働率」や「設備投資判断」に苦しんでいる実態が見えてきました。
そこで、これらの課題を解決する手段として「工場設備のシェアリング」という仮説を立て、検証を進めていきました。その過程で、使われなくなった設備を企業間で直接売買する仕組みが、結果として市場に受け入れられていったのです。
――単なる思いつきではなく、現場の課題感から生まれたわけですね。
はい。特に印象に残っている出来事があります。ある中小企業の社長と一緒にいたとき、取引先から一本の電話が入りました。大きな仕事がなくなったという連絡です。 「あぁ、これでうちは潰れるかもしれないな」 電話を切った社長がつぶやいたその言葉と、目の前の現実の重さに、私は打ちのめされました。中小製造業にとって、設備投資の負担や一つの受注がいかに命綱であるか。 流行りの言葉遊びではなく、彼らの生き残りをかけた切実な解決策として、この事業が必要だと確信した瞬間でした。
――そこから、どのようにビジネスとして成立させたのでしょうか?
熱い想いだけでは事業は続きませんから、徹底的に「情報は足で稼ぐ」ことを実践しました。 特にこだわったのは、検証の深さです。アンケートで「こういうサービス、いいですね」と言ってもらうのは簡単です。しかし、実際に財布を開いてお金を払ってくれるかは全く別の話です。 だからこそ私たちは、手間を惜しまず泥臭く「実際に稼げるか」というところまで検証を行いました。そこまでやり切って初めて、顧客にとっての本当の価値が見えてきたのです。

【成長と苦悩】アイデア検証から「経営」へ。
――立ち上げ後のフェーズでは、どのような壁にぶつかりましたか?
フェーズが変わると、求められる筋肉が変わるんです。
最初は「このアイデアは成立するか?」という検証でしたが、人が増え組織になると、途端に経営が始まります。トップライン(売上)をどう上げるか、組織をどう回すか。
特にきつかったのは、時間との戦いです。
経理データを見れば、「あと何ヶ月で資金が尽きる」という“余命”が数字として突きつけられます。次の資金調達までに、どんな数字を作らなければならないか。そのために人は必要だが、人を雇えば余命は縮まる。
投資とリターンのバランスを極限まで考え抜く日々でした。優秀な人材がすぐに集まるわけでもない。トラブルも起きる。その泥臭い現実の中で、一歩ずつ前に進むしかありませんでした。
【得たもの】「人生が変わった」――経営者として全責任を負い、見えた景色
――この5年間の挑戦を終え、得られた一番大きなものは何ですか?
一言で言えば、「人生が変わった」ということですね。見える世界が完全に変わりました。 具体的には、経営者としての視座、人脈、そして社外との接点です。大企業の看板ではなく、一人の人間として勝負する世界に飛び込んだことで、得られた経験値は計り知れません。
――特にどのような点で「視座の変化」を感じましたか?
「全責任を負う」という覚悟の重みです。 資金が尽きそうな中でトラブルが起きれば、その責任は全て自分に降りかかってきます。「会社を畳むことになったら、それは全て社長の責任だ」。本にはそう書いてあっても、実際にそのプレッシャーを肌で感じるのとは天と地ほどの差があります。 そのヒリヒリするような修羅場を体感したことで、経営というものの解像度が劇的に上がり、視野が大きく広がりました。
――人との関わり方も変わりましたか?
そうですね。本当に倒産寸前で借金を抱えている中小企業の経営者のリアルな姿から、前向きにチャレンジを応援してくれる人たちまで、多様な世界を見ることができました。 何より、同じマインドを持って戦う仲間との繋がりが生まれたこと。
温室ではなく、荒野を駆け抜けたからこそ出会えた人々と、そこで培った経営者としての感覚。これこそが、私のビジネスマンとしてのあり方を根本から変えてくれた、かけがえのない財産です。
[編集後記] 「長谷川さんいい顔してるな〜」チャレンジこそが人を育てるという言葉を、これほど鮮烈に見せつけられるとは思いませんでした。 事業の成功はもちろんですが、彼自身のこの劇的な成長を間近で見届けられたことが、何より嬉しく思います。
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