「デザイン思考で新規事業を起こせ」と言われ続けて、何年経つだろう。

研修に数千万円を投じた企業がある。ポストイットを壁に貼り続けた現場がある。それでも「大きな新規事業」は生まれなかった。

なぜか。私は長年、大企業の新規事業開発に関わってきた立場から、一つの結論に辿り着いている。大企業の新規事業とスタートアップの新規事業は、根本的に別物だ。そして多くの企業は、スタートアップ用の手法を大企業に移植するという、致命的な間違いを犯してきた。


スタートアップと大企業、「新規事業」の定義が違う

スタートアップの新規事業とは何か。一人を熱狂させることから始まる。N=1の深い課題を掘り、小さく試し、失敗から学び、少しずつ広げる。リーンスタートアップと呼ばれるこのアプローチは、未知の市場に挑む身軽な組織にとって、極めて理にかなっている。

大企業の新規事業とは何か。最初から「数十億〜百億規模の市場」を問われる。経営陣の承認を得るための説明責任がある。数千人の社員を抱える組織として、「小さな実験」に社運を賭けるわけにはいかない。

この違いを無視したまま、デザイン思考(課題を見つけて解決する)とリーンスタートアップ(小さく始めて検証する)を大企業に持ち込んだ。それが「大企業の新規事業はうまくいかない」という問題の正体だ。


大企業に必要なのは「市場を解く」ことではなく「市場を設計する」こと

ここで登場するのが、マーケットデザインという発想だ。

マーケットデザインとは、既存の市場に参入することではない。市場そのものを設計・創出することだ。

1973年、ヤマト運輸の小倉昌男がニューヨークでUPSを見たとき、彼は「宅配便市場の課題を解こう」とは思わなかった。「日本に宅配便という市場を作ろう」と考えた。初日の取り扱いは11個。社内5,000人が反対した。それでも彼は「サービスが先、利益は後」というビジョンで動き続けた。その企みが、年間50億個超の社会インフラを生んだ。

これがマーケットデザインだ。課題の枠の中で解決策を探すのではなく、課題の枠ごと書き換える。


「課題を解く」では、スケールしない

デザイン思考の構造を思い出してほしい。「ユーザーの課題を発見し、解決策を試作・検証する」——このプロセスは、本質的に「今ある問題を小さくする」思考だ。

課題から始まると、解決策は課題の大きさを超えられない。「窓口の改善」という課題からは、「窓口を増やす」というアイデアしか出てこない。ヤマトの小倉は課題を「窓口の不便さ」とは定義しなかった。「荷物が届くという体験の欠如」と定義した。問いが変わると、答えが変わる。

大企業がスモールスタートにこだわり続ける限り、半年後には「売上が出ない」と言われ、一年後には「撤退」する。競合がひしめく市場でスモールスタートしても、先行者に追いつくことすらできない。市場を設計する視点なしに、大企業の新規事業はスケールしない。


マーケットデザインの3つの問い

では、マーケットデザイン思考とは具体的に何をするのか。私は三つの問いから始めることを勧めている。

① この事業が実現したとき、「誰の何が」変わるか

ユーザーの課題を解くのではなく、市場の構造を変えることを先に考える。「窓口が減る」ではなく「荷物が自宅から動く社会になる」。その変化の大きさが、事業のスケールを決める。

② この会社にしかできない理由は何か

マーケットデザインは、自社の「原液(アセット)」から逆算する。富士フイルムの化粧品参入は、フィルム技術というアセットなしには成立しなかった。「今の市場トレンド」から考え始めた瞬間に、スタートアップに負ける。

③ 10年やる覚悟で設計されているか

市場を作るには時間がかかる。宅配便も、サブスクリプションも、マッチング市場も、最初の数年は「誰も使わない」から始まった。「来期の売上」でなく「10年後の市場」を描いてから、逆算して今の施策を設計する。


AIが「マーケットデザイン」の障壁を下げた

最後に、今このテーマが特に重要になっている理由を話したい。

AIの登場で、「なるほど(課題の分析と解決策の立案)」はほぼ自動化された。市場調査、競合分析、ペルソナ設計、施策のリスト——かつて人間が何週間もかけていた仕事を、AIが数時間でこなす。

裏を返せば、AIが「なるほど」を丸ごと引き受けた今、人間に残されているのは**「まさか(誰も想定しなかった市場の設計)」**だけだ。

「まさか、あの会社が宅配をやるとは」「まさか、水がヘビメタデザインで売れるとは」——この「まさか」は、AIからも、フレームワークからも出てこない。それは、市場を設計しようとした人間の「企み」からしか生まれない。

大企業の新規事業担当者よ、課題を解くのをやめよ。市場を設計せよ。

その企みが、次の社会インフラになる。